ドキュメント・オブ “10000の瞳”プロジェクト

日本の再生や復興という言葉が繰り返されている今、私たちはこれまでと同じ考え方、価値観の継続ではそれを望めないと気づいています。猛スピードで技術革新という名のもとに、目に見えるもの(物質)を追いかけてきた時代は、目に見えない大切なもの(心や絆)をどこかに置き忘れてきてしまいました。世界からの支援や声援を受け、これからの日本という国の在り方、私たちが生きていく術について、有識者の方々に提言して頂きます。
  • 過去という未来
  • 復興へ向かって
  • 関心を持つこと…
  • 天に誓う歌
  • エッセイトップ
「過去」という未来 ?石巻市立稲井小学校を訪ねて思ったこと?
 10月から11月の頭にかけて、石巻市立稲井小学校を訪れる機会が二度あった。『今ある気持ち』という楽曲の、全校生徒による合唱練習とレコーディングを見に行くためである。歌手の上田正樹さんと緑の惑星プロジェクトとのコラボレーションで生まれ、『緑の募金』東日本大震災復興事業応援ソングに採用された歌である。そして、ひたむきに歌う生徒たちの姿にすっかりやられ、少しでも元気になってくれればという私たちスタッフの気負いはいつしか鳴りを潜めてしまった。気がつけば、あまりにも純心無垢な彼ら、彼女らに元気を貰ったのは、むしろ私たちの方であった。

 震災と津波で肉親を失った児童、母校が被災して転校してきた子もいるのに、なぜそんなに純心無垢でいられるのか? そう考えたとき、幼いながらも「自分」というものを持っているからではないかと思った。「自分」を言い換えれば「個性」であり、それを先生方が尊重し、そして雄大な自然に囲まれて伸びのびと育つことで保たれているのではないかと感じた。そう、人は一人ずつ違って当然。多様であってこそ、お互いに支え合えるのだ。

 それは自然界に普遍的に通じる法則である。自然界を弱肉強食の世界と考えるのは、都市社会が生まれ、そこに住む人たちが自分たちに照らし合わせて生じた概念ではないか? 都市社会には、特化した、言い換えれば偏狭な価値観がある。そこでは同じ目的のために競争し、勝ち組、負け組が生まれる。そうした観念で見たのが弱肉強食なのだ。

 それでは、自然界とはどんなものなのだろう。40億年近い昔に地球上に誕生した生命は進化を重ね、今の自然界がある。私たち人類は自分たちこそ進化の頂点と信じ、バクテリアなど微生物を原始的で不潔なものと切って捨てる。しかし、人類はバクテリアなくして食べものを満足に消化できず、息を吸うだけでは蛋白質の主原料で大気の75%以上を占める窒素を体内に取り込むことができない。窒素はバクテリアが生態系に最初に取り込み、それを植物が吸収して、やっと私たちを含む動物の血となり肉となる。すなわち、あらゆる生物が連携し融通しあい、調和のうえに成り立つ世界が自然界なのである。

 人類社会も元々はそういう世界だったはずである。それが経済と産業の発展に伴い、金と物が至上の画一化社会への道を歩みはじめた。それでも19世紀までは、「博物学」という、ものごとを様々な角度から見る総合的な学問分野があった。しかし、20世紀の資本主義と科学技術の急激な進歩によって、専門分野が細分化され、各分野の画一化が進み、社会の多様性が狭まって、今がある。

 だから、21世紀のこれからは、その状況を冷静に見つめなおし、博物学的なものの見方への回帰を図るべき時ではないだろうか。

 今回、石巻という「ふるさと」に出合い、20世紀に失われたものが色濃く残っているのを感じた。それを「過去」として葬ることなく再認識し、そして、この災害からの復興に多様で複合的な考え方や手法をもって、より良い「ふるさと」の創生を目指すことが大切だとの思いを深めるのであった。

吉田 彰
植物学者
東京情報大学教授、東京農業大学講師、(財)進化生物学研究所 主任研究員

動植物共に固有種が豊富なことで有名な島・マダガスカル。そこで、失われた森の再生活動に取り組んでいる。1973年に初めてマダガスカルを訪れ、その豊かな自然に感動。しかし、その後何度か訪問するたびに森林の荒廃が進むことに心を痛め、1990年にボランティア団体「サザンクロスジャパン協会」の設立に参画。以降20年にわたり植林活動に取り組んできた。その間植えた樹木は11万本を超える。2010年にはその功績から、マダガスカル独立50周年に際して、シュヴァリエ(騎士)Chevalierの称号を受勲。今年1月に放送された「NHKスペシャル 福山雅治ホットスポット 最後の楽園マダガスカル」ではスペシャルアドバイザーを務めている。
復興へ向かって
 2011.3.11、東日本大震災……それは、宮城県沖地震や宮城北部地震を経験し、またいつかは来るであろうと想定していた私たちに突然やってきました。信じがたい激震で立っていられない、地割れが起こり逃げ惑う人たち……、「これか、これがついに来たのか」と頭をよぎったものの、想像を超えた悲劇はさらに後からやってきました。地震慣れしている三陸沿岸部とはいえ、津波があれほど巨大に来るものだとは誰も想像できなかったのです。

 激震、繰り返す余震、巨大津波、火災、雪、水没した車の鳴り響くクラクションの音、身の回りの人の安全確保以外どうすることもできない、この世が終わるのかとの不安と暗闇が長く長く続いたあの日から、もう2年近くが過ぎようとしています。

 現在、被災地は、予想以上のスピードで、被災した家屋や建物を解体・撤去し、瓦礫の処理にいたっては、人の手でていねいに分別され、他の自治体のお力もお借りしながら、スピーディに進められています。いわゆる復旧作業は、現在も連日連夜続けられ、いよいよ街の再生、復興に向けた本格的で計画的な実施に向け、私たち市民の期待は高まっているところであります。  そんな中、心の復興はどうかと申しますと、やはり、震災後のダメージは想像をはるかに超えており、いま、ようやく住民は、ニュートラルになるべく前を向いて、動き出したばかりであります。

 そういう状況の中、昨年末に、実施していただいた「10000の瞳プロジェクト」は、本当に貴重な機会であり、市民のみならず、CD制作に参加させていただいた児童や学校の先生方は、コンサートでの上田正樹さん・金道郷さんの歌声に涙し、大きな感動と心の復興への力をいただきました。

 私も所属するゴスペルグループ「キャンディリース」のメンバーと一緒にコーラスに参加させていただき、『今ある気持ち』を歌いながら、メンバーと感極まりました。

 復興への道のりは、まだ始まったばかりであります。子どもたちもわれわれ大人も、いつ何時もあの日を忘れ去ることはできません……。ただ、言えることは、記憶を消すことは出来なくとも、その後の楽しいことや良い出会いで、あの忌わしい記憶を薄めることはできると思っています。

 未来ある子どもたちが、心豊かに健康に育ってもらうためにも、いま、私たち大人がするべきことはたくさんあります。

 特に、何もなくなってしまったところに、新しい環境を作ってやることは容易いことかもしれません。緑豊かなふるさとを作ることは、空気も景観も美しくなり、子どもたちの健全な「育ち」を助けてくれることでしょう。
 私たちは、被災地で、いま木を植えています。春にはたくさんの種もまきました。木は、子どもたちとともに大きく成長し、このまちを美しくしてくれるでしょう。

 これから、大人ができること、子どもと一緒にできること、被災地で、心の復興のために頑張ってまいります。全国の皆様、どうか応援よろしくお願いいたします。

木村美保子
特定非営利活動法人 いしのまきNPOセンター副代表理事、石巻を考える女性の会事務局、宮城県行政経営推進委員会委員、宮城県生涯学習推進委員会委員、石巻市社会教育委員

平成4年から活動を続けてきた(社)石巻青年会議所の活動で、さまざまな地域づくり運動や、青少年育成活動、国際交流活動に関わる。そんな中で、全国の仲間とNPO法の議員立法や普及活動に関わり、平成13年に、NPOの活動拠点整備と活動支援のためのNPO「いしのまきNPOセンター」を、当時の活動していた仲間と起ちち上げる。翌年、石巻市から委託を受け、「石巻市NPO支援オフィス」の運営業務を受託。現在、有給スタッフ4名と理事が、石巻市内のNPOや市民活動団体、80以上の団体の情報の受発信基地として、また、さまざまな相談業務や、各種団体・外部団体の復興支援の窓口として、復興支援イベントの企画・開催や、ボランティアの活動拠点づくりのお手伝い、広報支援などの活動を担っている。
関心を持つこと、忘れないこと、ひとりじゃないこと
 石巻湾に面した南浜地区はあまりにも被害が大きく、人が住むことが許されない“緑地”ゾーンとして区割りされた。そこには多くの人が訪れる「がんばろう!石巻」看板が設置されている。復興へ向けた力強いメッセージを発しているその場所を、私は何度となく訪れては震災の記憶を風化させない場、震災を語り継ぐ場として来訪者に紹介している。最近、看板脇に津波到達ラインを示す新たなポールが実際の津波の高さである6.9mの位置に設置された。津波の脅威を伝える重要な役割を担っているこの場所を“もっと多くの人に来て見てもらいたい。被災地であることを忘れて欲しくない”と私は感じていた。

 ところが、不特定多数が頻繁に訪れる事に辛い思いをしている遺族がいることを地域の住職から聞かされてハッとした。津波到達ラインを見ると波の幻影が迫って来るようで怖いという意見もあった。自分と違う感じ方があることに思いが全く及んでいなかった。復興への気持ちがはやり過ぎて、違う立場の人の気持ちになって考えてみることを知らず知らずのうちに忘れ去っていた。一方、被災地を訪れて津波の脅威を肌で感じ、今後襲いうる災害に自らを備えて欲しい思いも確かにある。要はバランスなのだ。

 ふと、数年前に地元新聞紙のコーナーに向けて書いたエッセーを思い出した。石巻市環境保全リーダー養成講座のプログラム「植物観察」に参加した際のエピソードとして、個性に富む大自然から多様な価値観を学んだことが綴られていた。手軽なハイキングコースがある小高い山に、講師の先生とともに山、木、草、花を観察する。先生は自然が発しているメッセージを上手く翻訳してくれる。ひとつとして同じものが存在しない自然は多様であるからこそ誰も拒むことなく受け入れ、癒してくれる。五感をフルに使って自然を味わう素晴らしい体験だった。

 先生は「名前がわからない時は付けてあげてください」と繰り返していた。名を付けるということは関心を持つということ。自然に対する無関心が自然環境の悪化につながっていると語っておられた。関心を持つこと。被災地は自然への関心が薄れざるを得ない環境になってきている。自然への関心が薄れると多様な価値観が薄れるというのは言い過ぎかもしれないが、自然と触れ合う機会が多ければ多い方が価値観をバランスよく保てるのではないだろうか。石巻はもともと気軽に楽しめる緑地や里山が豊だったとは決して言えない地域だった。犠牲者を弔う意味でも、震災をただの通過点にしてしまわないためにも、豊かな自然をもっと身近に感じられる新しい石巻を創りたい。南浜地区には国営公園の建設が検討されており、住民の意見を提言するための有志の集まりが組織され始めている。居住していた所を否応なしに明け渡さざるを得ない事に住民は複雑に交錯する想いを抱えているが、新しくできる公園を、最悪の震災にも負けず、自然と共生し再び自然を慈しむ事ができる石巻人の精神の豊かさを現せる場として捉え始めている。

 ゴールは遠いかもしれないし、目指していたゴールが何だったのか自信が無くなってしまう事があるかもしれない。そんな時は『今あるきもち』を歌い継いでくれる10000の瞳プロジェクトに込められた、誰もが決して“ひとりじゃない”こと、多くの人が被災地に想いを寄せてくださっていることを思い出させてくれる、心を揺さぶるメッセージを仲間にも伝えていきたい。

川村久美
特定非営利活動法人いしのまき環境ネット事務局長

「石巻から元気な地球を次世代の子供たちへ」を理念に、植樹や市民農園、味噌作りなどを通した地域文化との繋がりの再発見、微生物資材を活用したプール清掃や河川浄化、教育機関での環境教育を行っている。本業のかたわら2005年の設立時より事務局業務を担い、2010年から事務局長。1994年、留学先から石巻に戻り、ふるさとの豊かさを改めて実感する。さまざまな体験をすることで地元の魅力を見つめ直し郷土愛を育む市民参加型の企画を多く創出している。
天に誓う歌 ?10000の瞳プロジェクトに参加して
 子供たちの歌声と共にスタートした「10000の瞳プロジェクト」。

 あの震災から一年が過ぎた今年3月、かつて子供だった私にも、上田正樹さんの『今ある気持ち』に合唱で参加できる機会をいただきました。東日本大震災を受けて生まれたこの曲は、絶望的な悲しみに打ちひしがれた心に寄り添い、そのあたたかい言葉は天に向かう雄大なメロディに乗り、聴く者、歌う者の視線を高くし、希望を持って未来に向かわせるような、そんな力があると感じながら歌わせていただきました。

 私もそうであったように、あの震災の直後、多くの人の頭を過ぎった思いに、「こんなことをしている場合ではない」という、本来の自分の姿に対する疑問や焦りがありました。この気持ちは当初、スポーツ選手や各分野の著名人の発言からも多く聞かれ、誰もが自問自答している日々だったように思います。やがてそれぞれが何かに気づき、また自分らしく動き始めた時、BGMや応援歌となって一人ひとりの心に流れた大切な曲がきっとあったであろうと想像します。そして私たちも震災の翌月、余震が続く都内でのチャリティーコンサートに挑み、被災地への想いや仲間と歌えることへの感謝から、涙でいっぱいのステージとなりました。

 喜びの時も悲しみの時も、全ての人の人生とともにあるのが音楽ですが、音楽の持てる力が、国難と呼ばれる大きな危機を直接的に救えるものだとは思いません。それでも大切なことは、苦難の中にあっても耳を傾けたり口ずさむ音楽で気付く心の在り様であったり、気持ちを合わせて歌うことで生まれる一体感や共感、また、この度の大震災に於いては、「絶対に忘れない」という【誓い】とも言える想いを共有できることのように思います。

 想像力を切らすことなく心を寄せ続け、被災地の復旧・復興が、『今ある気持ち』を懸命に歌った子供達の成長と共に、着実に成されて行く事を心から願っています。

菊池恭子
ステンドグラス・グラスアート作家
クラウン少女合唱団OG/クラウンハミングバード メンバー

1965年生まれ、東京都出身。本名は鈴木恭子。グラフィックデザイナーとして勤務中にステンドグラスと出会い、27歳で技術専門校に入学し、おもにヨーロッパの古典技法による技術と歴史を学ぶ。多数作家工房において制作、技能者として従事。2005年「アトリエ・ビードリオ」設立。公共施設・老人ホーム・ 病院医院・店舗・個人邸などへの制作多数。一方、小学5年生の時に「クラウン少女合唱 団」に入団。現在はその出身者により結成された「クラウンハミングバード」に在籍中。大人になった今でも少女合唱団時代に得た透明感溢れる歌声には定評があり、多彩なジャンルをこなす女性ヴォーカルグループとして活動している。