日中緑化交流基金
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平成25年度 助成事業実施団体による活動状況報告


 日中緑化交流基金による助成事業では、日本の民間団体と中国側カウンターパートが協力し中国各地で多様な活動を展開しています。これら助成事業の取り組みについて、各団体から報告をいただいておりますので、その一部をご紹介します。

1.植林事業印象記
一般社団法人 日本アジア青年交流協会
理事長 関 紀夫
 
 平成25年度、日中緑化交流基金助成による現地視察旅行は、継続事業として下記の三か所であった。当協会視察参加者は、例年参加の関、山﨑両理事に加えて今年は初めて小倉理事が参加した。全青連同行者は、中国国際青年交流中心・部長の王希宏氏、通訳を含む計5名の視察団であった。
 本稿においては、現地関係者の氏名役職等は特に印象に残った人を除いて割愛させていただく。
 
旅行日程:2013年6月30日~7月6日
植林地1:日中青年遼寧省大凌河流域水源涵養林
(7月1日、起工式及び記念碑除幕式)
 昨年同様熱河の中心地朝陽市に宿泊、翌日朝、同市を貫く大凌河を望んだ。確かに水量を誇る大河である。そこから約1時間半車で移動した低丘陵地で広がりのある場所が水資源涵養林の場所であった。小雨降る中、多くの地元中学生、住民、市職員等200名に迎えられて式典と植林を行った。大変盛会であった。特に参加した中学生には今年も植林の重要さを説いて聞かせた。また、植林の順調な状態を確認した。
 
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日中青年遼寧省大凌河流域水源涵養林
一般社団法人 日本アジア青年交流協会
 
植林地2:日中青年吉林省長春市農安県生態緑化事業
(7月2日、記念碑除幕式)
 農安県は、今回初めての視察地である。錦州南から新幹線で長春西駅までの間車窓からは延々と続くトウモロコシ畑の広さに驚愕した。到着の夜、農安県委員会書記の周賀氏による夕食会に招待された。特に彼の名を挙げたのは、農安県に企業誘致がされる場合、自分としては公害を垂れ流す企業には絶対に許可を与えないと強調して私に語ったことである。私は、初めてこう言った良識ある役人に会った気がする。彼はアメリカに留学の経験があり、且つ知日派の方であった。翌7月2日は、朝から豪雨であった。現地まで車で約2時間、起伏に富んだ場所に到着、降りしきる雨の中での行事を行い、多くの住民が現地で迎えてくれたが、あまりの雨の激しさに早々に行事を終わらせ現場を後にした。
 現場では、ポプラの苗木が整然と植林されており、保育作業の実態を見学した。
 
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日中青年吉林省長春市農安県生態緑化事業
一般社団法人 日本アジア青年交流協会
 
植林地3:日中青年四川省眉山市生態緑化事業
(7月4日、起工式及び除幕式)
 今回は、長春市から空路で成都に移動という長旅になった。成都には毎年会う顔なじみが迎えに出ていてくれた。4日朝、青神県の竹林に覆われた山へと向かった。毎年、急峻な山登りを経験させられるので、今年も覚悟を決めて出かけたが、今回の現場は山頂に近いところではあるが、車が通れる程度の細い路が敷かれてあったので、大変楽に山頂まで登ることができた。今年も山肌がむき出しになった部分への植林を行った。例年通り植林を学ぶ若いボランティアの方々と地元の住民達が集まり盛んに植林を実施していた。何遍来ても同じことを彼らに伝えた。それは、山、植林、水そして人の健康との関係である。
 これからもしつこく環境改善のため言い続けるつもりである。
 
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日中青年四川省眉山市生態緑化事業
一般社団法人 日本アジア青年交流協会



2.沙漠緑化で草の根交流
日本青年団協議会
社会部長 鳥澤 文彦
 
 私たち日本青年団協議会(略称:日青協)は現在、中華全国青年連合会(略称:全青連)と協力し、内モンゴル自治区ダラトキと河北省豊寧満族自治県の2カ所で沙漠緑化活動に取り組んでいます。
 2013年は8月3日から7日の5日間、私たちは全国の青年や中国の友人にも呼びかけ、集まった14名で「植林訪中団」(団長・・戸嶋幸司日青協副会長)を結団し、河北省豊寧満族自治県に派遣し、植林活動を行いました。
 日青協が豊寧県で植林を始めたのは2000年のことです。当時は禿げ山が拡がる赤茶けた土地でした。しかし、今回団員たちが目にしたのは、油松や落葉松、杏などの樹木が青々と茂っている姿でした。2000年当時に参加した団員はこの光景を見て「あの夕日に照らされて眩しいほど光っていた禿げ山に、ここまで緑が根づいてくれたのか」と、当時を振り返っていました。わずか13年の間に辺り一面を変えるほどの緑が育んだのは、なによりも全青連をはじめ現地の住民の皆様の努力があってのことです。
 植林地では豊寧満族自治県や承徳市の政府、同県青年連合会や青年ボランティア、現地住民など多くの方々が私たちを出迎えてくれました。青年ボランティアの皆様はこの日仕事を休んで出迎えてくれたと聞きました。団員は身振り手振りで交流しながら現地の方と共に植林活動をしました。豊寧県は高原地帯で地盤が固く、9月になれば穴を掘ることすら困難だと言われています。歩くだけで足がとられ掘った穴も砂で埋もれてしまう沙漠地帯のダラトキとはまた違う状況です。場所によっては固さも変わる土壌に悪戦苦闘しながらも現地の方と協力し、今回約800本の苗木を植えることができました。青年ボランティアとして参加された現地の女性は「豊寧県の環境はこの数年で大きく変わった。私も少しでもその力になれればと思い今回ボランティアに参加した。私たちのために活動してくれる日本の青年と顔を合わせて一緒に交流ができ、充実した時を過ごすことができた。」と語ってくれました。
 中国には「樹を育てるのに10年、人を育てるのに100年」という諺があります。日中青年が共に環境問題を考え、植樹活動を通して両国のことを考え、そして交流していく。そんな些細な取り組みですが、大きな意義があると感じています。
 哀しいことに、日中間は今政治の上で少し課題を抱えており、民間交流にも少なからず影響を及ぼしていますが、私たちはこれからも先輩たちが築きあげた交流の歴史に学びつつ、新たなページを日中の青年とともに切り開いていきたいと考えています。そして、これからもスコップを片手に握りしめ、遠い友人のために汗を流していきたいと思います。
 
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植樹する日中の青年
日本青年団協議会




3.「日中緑化交流基金事業」での多彩な出会いと暖かい心
広島県日中親善協会
事務局長 岡本敏秀
 
 四川省安県地震災害復旧植林事業
 平成25年11月11日第27回広島県日中親善協会訪中団(加藤会長を含む15名)は、日中間で難しい状況があるものの、地方における民間交流は両国の友好親善にとって大変重要であるとして2年振りに四川省で記念植樹を実施しました。
 11月にしては暖かく気温15度、曇りの中、成都市から北東へ高速道路等を利用して約2時間半、途中地震や洪水の爪痕が残るでこぼこ道を経てようやく現地安県へ到着した。昨年植林を予定していた地域で、現在の日中間の状況を考え不安を持っていたが、人民政府や林業局、人民対外友好協会など関係者や地域の方々約50名が、地震直後の2009年の訪中団記念植樹の時と同様暖かく出迎えていただき安堵した。記念植樹式典での代表者の挨拶は、日中緑化交流基金事業を活用して5カ年で164ha植林し、地震から復興し、緑の山河を取り戻し環境改善が図られ友好のシンボルだと感謝の意を表された。そして、関係者全員で「北国の春」や「城的故事」を中国語で仲良く合唱した。その後、全員で小高い山に登り、50本の楠の苗木を汗を流しながら力を合わせて植林し、その感謝の印として安県緑化委員会から訪中団全員に栄誉証書が授与された。更に、安県を管轄する綿陽市人民政府歓迎会でもこの植林は成功したと重ねて感謝されるとともに、今後とも一層の交流を深めていきたいとのことであった。
 このように、「日中緑化交流基金事業」での多彩な出会いと暖かい心を通じて着実に相互理解と絆が強くなって来ていると感じている。
 今後とも、この事業の継続を願っている。
 
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四川省安県における日中緑化記念植樹式典集合写真
広島県日中親善協会
 
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四川省安県での日中緑化記念植樹
広島県日中親善協会




4.山西省での8年目を迎えた緑化事業
特定非営利活動法人 埼玉県日本中国友好協会
理事長 中崎 恵
 
 2003年12月、山西省太原市を訪問していた当時の弊協会の会長以下2人の役員は、ホテルに山西省対外友好協会秘書長氏の表敬を受けた。その時山西省林業庁の幹部氏も同席していた。以前から山西省の緑化事業に協力を求められていたので訪問の理由はすぐに理解できた。
 弊協会は、2004年度にNPO法人化が進む中、創立記念の事業として取り組むには好い機会と捉えられたが、緑化の事など全く知識のない中で、「日中緑化交流基金」からの助成金を受けなければ実現できないことははっきりしていた。従って即答は避け、先ず事業予定地の調査を決め、次の日現地に向かった。現地は市内から車で2時間程の太原市尖草坪区の馬頭村にあり、「ヤオトン」と呼ばれる住まいで暮らす農家が200戸余あるという地点であった。標高1400mの高地で、200haもあるという広大な黄土高原の中にあった。朝の気温、-14℃の中での現地調査であったが、この道路状況で、はたして「来年の5月までに30人以上をバスで来られるだろうか」と心配した記憶がある。
 2004年4月になり、現地から、「道路も突貫工事で仮舗装も終わり、マイクロバスの通行ならば全く支障がなく、シンボル塔の建設も終わっている」旨の連絡があり、第1回植樹ボランティアの募集を開始し、51名が応募、日中併せて250余名の参加で2004年5月に第1回植樹祭が開催された。
 一方、日中緑化交流基金の助成申請には全く経験がなく、日中緑化交流基金事務局や当時この事業で先進的な宮城県日中友好協会を訪ね、多くの事をご指導いただき、はじめて実務が可能となった事やその後のフォローについても多くをご教示頂いた。今でもこの両機関の方々には感謝の気持ちでいっぱいです。
 太原市での緑化事業は、3カ年計画のとおり、面積200ha、53万本の油松や刺槐が植えられ完成した。2011年、当該地を訪れた際、2004年に植えられた油松等は既に3メートルを超える樹木に成長し、大きな林となりつつあって、とても感動的だった。
 2009年度、山西省林業庁の新たな要請を受け、山西省西北部「呂梁市方山県」の丘陵地で事業を開始し、5年目に入っている。
 現地は多くが農業地帯で、経済的にも一部取り残されてきた所だったが、近年政府の農業政策の変化により、「ハウス農業」に力点が置かれ、途中多くの「ビニールハウス」が目につき、キュウリやトマトなど季節に関わらず、実を付けている姿を見学させていた。
 ここにも地域の変化と経済発展の影響を現れているようである。緑化に対する地域住民の関心も高くなり、子ども達をも動員した緑化推進の活動が目立ち始めている。
 2013年度の緑化ボランティアの派遣は残念ながら実現できなかったが、前年には一般住民のほか、多くの中高生の参加が目立ち、植樹の必要性や重要性を子ども達に話している現地幹部の姿を目のあたりにした。
 植樹は子どもの成長に似ているが、樹木の成長と子供たちの成長を楽しみにしながら、これからも中国の環境改善が、我が国にも一定の利益を齎すものであることの意味をもっと広げる努力をしていきたいと思う。
 
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2004年度事業 尖草坪区馬頭村のコノテガシワ(側柏)
2011年5月撮影
特定非営利活動法人 埼玉県日本中国友好協会



5.平成25年10月10日からのモンゴルオトカ前旗訪問
黄河の森緑化ネットワーク 事務局長 矢野正行
 
 今年は、内モンゴル自治区オトカ前旗フルス村で日中緑化交流基金の助成を受けた沙漠化土地緑化事業の3年目にあたり、過去3年間の緑化の成果を確認するためと来年から始める新たな場所の確認のため、10月10日から3日間オトカ前旗を訪れました。
 まだ日中関係は正常な状態にはなっていませんが、オトカ側の歓迎ぶりは大変なものがあり、何としても緑化支援活動を通じて日本との国際交流を継続させ発展させて行きたいと云う意欲が感じられました。我々もまた、環境を守るための草の根運動としての植樹活動が日中交流の橋渡しになれば良いと考えています。10月11日には訪問した23名の会員と地元の方々との協働植樹を総数約50名で行ったのですが、これに地元オトカのテレビ局が取材に訪れ会員の皆さんにインタビューをされていました。会員には中国語に堪能な方が多くてきぱきと通訳なしでやり取りしていたのが印象的でした。
 協働植樹は地元フルス村の村長さんの挨拶ならびに植樹方法や中国式スコップの使い方の説明から始まり、皆さん地元の方に教えてもらいながら和気あいあいと作業をこなしていました。フルス村での植樹は3年が経過しました。毎年年間を通じて撫育管理を徹底して行っており、1年目に植えた沙柳はすでに3m近くまで成長し、また、楊柴は大きく枝葉を茂らせています。村民が期待する家畜飼料や薪材として利用できる日もすぐそこに来ていると思います。
 我々は、最近になりますます重要になって来ています国際的な草の根運動を、植樹と云う誰にでもできる活動を通して継続し信念をもって発展させようと考えています。
 
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植樹する会員
黄河の森緑化ネットワーク
 
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地元テレビ局のインタビューを受け中国語で対応する会員
黄河の森緑化ネットワーク



6.友好省吉林省に植林をして
宮城県日中友好協会
理事 本郷 祐子
 
 私たちが友好省吉林省の対友協と林業庁から話があり吉林省で植林をするようになって早いもので11年が過ぎ、今年は12年目となった。2003年初めて降り立った長春空港や平原に沈む真っ赤な夕日、植林地への道筋の家々や人々の様子、表敬での挨拶や懇親会で訴えられた言葉まで今でも鮮明によみがえってくる。
 樹木は自生することなく植林しか緑化はないこと、西風の被害や旱魃干害など・・・日本の援助で植林が必要であると。
 
 この11年間(平成14年度から24年度まで)日本の状態も様々に変わっているが、私たちの植林訪中団は、中国の近代史を目の当たりにしてきたと言えるだろう。隅々まで文明の波が押し寄せて来て、生活が著しく変わってきた。夕暮れ時、暗くなっても家々は電灯を点けていなかった。道路に舗装はなく、家は土を塗り固めてできていた。カレーライスは薬膳といって舌先でなめるだけで頬張ることができなかった。
 よい思い出話もある。ポスターコンクールで一位に輝いたこともあった。植林を手伝ってくれた小学生から、大きくなったら中国のお金で日本に木を植えに行きたいと言って貰ったこともあった。養老院で大きな輪になつてヤンガーを踊ったのもとてもよい思い出である。
 そしてそれら楽しい交流を展開してきた植林ボランティアのメンバーが一人また一人と戻らぬ国へ旅立っている。寂しい現実である。子供たちの成長を見つめ、中国の市井の人々と交流することはその場限りの楽しさだけではない喜びがあって、宮城県日中の植林ボランティアツアーは宮城県内外の方々の支援と参加を受け11年間(4月植林、8月調査)続けてきた。そのツアーを生き甲斐として参加、満足の訪中成果で帰国後は新聞等に寄稿し、中国吉林省観を発信していた方、妻や恩師の足跡をたどる旅の方もあったが目的を果たされ、旅立たれ所縁の方へ報告などをしていることだろう。
 
 一事業地3年間、300haずつ、現在実行中の4事業地目で計1,200haになった。(巨大な面積を有する吉林省としてはほんの一部でしかないが・・・)いまでは緑地は西部から吹き寄せる風を防ぎ、降雨を促し水源や農地を守り人々の生活を守っている。
 植林ボランティアツアーは友好県宮城県を親しく感じてほしいと願い、宮城県の観光パンフレット(中文)や東北大学に留学した魯迅先生を紹介する絵はがきを持参し宮城県のPRをしている。
 平成26年も今年と同じ長春市の中の九台市で3年目の植林を行う。仙台→長春の直行便は震災以来途絶えており、北京かハルピンを経由しての訪問となる。
 元気で旧交温める旅にしたいと願っている。
 
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平成20年(2008年)8月 第1回植林地南市四海林場の記念碑の前で
植栽樹種:ポプラ、樟子松 桑等  植林地:南市四海林場
宮城県日中友好協会
 
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平成20年4月長春市から市民ボランティア植林団が大勢応援に来た。
植栽樹種:樟子松 植林地:双遼市実験林場
宮城県日中友好協会



7.湖南省常寧市における緑化事業の取り組み
公益社団法人 とくしま森とみどりの会
 
 平成23年10月、徳島県と湖南省が友好交流協定を交わし、湖南省から緑化活動の協力要請を受け当会が民間レベルでの交流を進めるため平成24年度から常寧市の緑化に取り組んでいる。
 湖南省常寧市は、緯度で示すと沖縄の那覇市より少し南に位置し、中亜熱帯モンスーン湿潤気候に属し年平均気温は18.1℃、年平均降水量は1474.8mm、土壌は肥沃で植物の生育に適している。長年にわたる過度の伐採や農地開発等が原因で荒廃面積は1万haを上回っており、森林の水土保全機能を高めるための植林を行うこととなった。
 当会が今年度に緑化事業を実施したのは、市南部の弥泉村の60haの無立木地である。
 過去に木は生えていたが、長年、無立木地で草が繁茂していた。施行地の標高は200~350mでその上部は急峻な地形となっている。
 植栽する樹種はha当たり広葉杉(コウヨウザン)2,700本、クス150本、ツバキ150本、60haの植林で総本数180,000本となる。広葉杉は中国南部に自生する常緑針葉高木で材は建築、家具などに用いられる。経済林の場合、湖南省では伐期齢は25年としている。クスは中国では、街路樹に多く植えられ、ツバキ(油茶)は湖南省では植物油を取るために栽培が盛んである。湖南省の規格で苗は裸根苗高さ24cm以上、植え穴は縦40cm×横40cm×深さ40cmとしている。
 他の事業内容は、気温が高く降水量も豊富なため草が伸びるのが早く下刈り3回(1回分は常寧市負担)、作業道(w=1.5m歩道)整備5.2kmである。
 平成25年5月23~24日に中間検査に現地に行ったところ、当日の最高気温が35℃と非常に暑い日であった。中国側の対応者は湖南省林業庁2名、常寧市林業局2名であり、植栽状況や苗木間隔、作業道の幅員等ほぼ基準通りの施工が確認できた。
 12月3~5日にかけて、完了検査と徳島県の林業家2名が湖南省、常寧市との林業技術交流を行った。この夏の干ばつ(連続66日間降雨なし)により5月に確認した施工地の苗木の大半が枯れてしまい8万本の補植がほぼ終わったところであった。技術交流では徳島県の林業の現状(ha当たり植栽本数、獣害対策、作業道の整備、間伐等)を紹介し、湖南省や常寧市からも当地の林業についての説明があり、その後、活発な意見が交わされた。
 問題点は、事業実施の確認に必要な①状況写真(施工前、施工中、完了)②証拠書類(契約書、領収書)の整備について事前打ち合わせをしていたが、提出が遅れたり、中国側が③計画地の位置の変更を行うなど意思の疎通がもう一つ図れなかったことである。
 また、事業を担当して感じたことは、施工地の山の傾斜が緩いため、作業車道(w=2.0m)を開設し、4輪駆動の軽トラックを導入すれば今後の管理も効率良くできるし、苗木のサイズを大きいものにすれば下刈りの手間と経費も軽減され、植林の目的が水土保全なので植栽本数を減じてもよいと思われる。
 いずれにしても、常寧市も当会も初めての取り組みであるため、今後の事業実施に当たっては、民間交流により更なる信頼関係を築いていきたい。
 
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日中民間緑化林業技術交流会の様子
(右側:みどりの会、林業家 左側:湖南省林業庁、常寧市林業局)
公益社団法人 とくしま森とみどりの会



8.河南省林業庁との交流
特定非営利活動法人 三重県日本中国友好協会
事務局長 松野静代
 
 当協会は日中緑化交流基金の助成金を得て、2000年から河南省で緑化事業を実施してきました。三重県と河南省が友好県省提携を結んでいることから、友好協会本部を通じて中華全国青年連合会からお話があったのが始まりでした。中華全国青年連合会をカウンターパートとして鄭州陽市の黄河流域で水土流出防止の植林、引き続き商丘の黄河故道での防風防砂を目的とする植林、同時に2006年からは女性部会と交流を深めていた河南省婦女連合会をカウンターパートとして魯山県のダム周辺で3年間水源涵養のための植林を実施し、また植林を通じて交流することになった河南省林業庁プロジェクト弁公室とも、2009年から開封県の黄河故道で防風防砂林建設を始めました。
 中華全国青年連合会から2010年度は陝西省でとお話しがあり、長くカウンターパートとして事業を行ってきたので大変残念でしたが、やはり当協会としては河南省で事業を実施したい旨をお伝えして、その後は河南省林業庁プロジェクト弁公室をカウンターパートに、現在は光山県と嵩県で水土流出防止、水源涵養を目的とした植林を実施しています。毎年専門家を派遣して実施地と予定地の調査を行うほか、三重県から河南省を訪問する団にはできるだけ現地を見ていただくようにしています。
 2008年からは、河南省各地の緑化関係者からなる河南省林業庁訪日団の三重県訪問が始まり、当協会が受け入れを担当することになりました。毎回県内は4日ほどの日程ですが、日本・三重県の林業の状況をできるだけ理解していただこうと、盛りだくさんの日程を組んでいます。三重県庁の林業部門関係者との懇談会、木材コンビナートの見学、造林や治山の状況の視察、伊勢神宮の神宮林を見学させていただいたこともあります。特に国立大学法人三重大学大学院生物資源学研究科の絶大なご協力で、毎回「森林の現代的役割と日本における自然保護・林業関係の展開」「地域社会全体で取り組む森づくり」「日本の森林の現状と木材搬出作業」などの講義をきく研修も実施しています。
 2012年は来日が延期となりましたが、2013年12月に17名の来日が実現し、例年のように見学と研修を実施しました。本年は日本の木造家屋についても知っていただこうと設計事務所代表の「木造住宅と日本産木材」の講演も企画し、また志摩では自然保護官から伊勢志摩国立公園の説明をききました。
 両国の関係は不正常な状態が続いており、1日も早い関係改善が望まれますが、友好都市関係等による長期にわたるさまざまな交流関係は変わらず各地で続けられています。地域と地域が理解を深め実質的な協力を行っていくことは、両国の良好な関係の基礎を固める上で大きな意義があると信じます。



9.“砂地拡大を阻止したい”の願いを支えて下さる『日中緑化協力事業』
NPO法人“草原の風”副理事長
牛山満智子
 
 10年以上前、春から初夏にかけての黄砂が年々ひどくなり、今に農業被害や健康被害も出るのではないかと心配していた。黄砂はゴビ砂漠などの中国大陸から飛来すると言うことだった。切石の佐々木勲さんと結婚したハスゲレルさんから聞いた中国、わけても内モンゴルの砂漠化は、ただモンゴルの問題だけでなく私たちの問題、ひいては地球の問題だと考えた。ハスゲレルさんから、出身地オルドス・ソムトソムソリゲガチャ地区の植林支援と教育支援の話があり、微力ではあるが少しでも役に立てばということで2002年9月1日『内モンゴルオルドスを支援する会』を女性20人で立ち上げた。
 その後ロータリークラブなどの協力を得て、資金作りの活動をし2003年(平成15年)第1回の支援活動に11名で出発。ソリゲ寺周辺とハスゲレルの実家近くに植林。その時植樹木の根を包んでいたビニール袋を現地の人たちはそのまま放置。それを拾い集めて1箇所にまとめた。参加していた現地小学校の校長が理由を聞いたので、自然環境を守るためだと説明。それがきっかけで翌年の第2回目には、小中高一貫校で“環境問題”の話をする要請がきた。第2回目(18名参加)にはその準備をし、資料も持参した。
 北京の飛行場に着いたときから雨が降り出した。この時期珍しい事だと聞き、学校で「日本から雨を連れてきました。」と挨拶。その年は、飯田日中友好協会の事務局長も草原の風の一員として参加。その関係で、7月飯田日中友好協会が講師に呼んだ野中広務氏にお会いする機会を得、『日中緑化協力事業』のことを知り、交付金申請準備を始めた。
 まず、NPO法人『草原の風』の設立、第3回目の植樹事業の時、林業局長と事務局に「事業の計画的な実施と記録をとること」を懇々と頼む。それから全体計画と年次計画(苗木作り・植林・管理・人件費・柵やポンプ設置など)作り(これは大変な作業で何回も作り直しをする)。協議書を日本語と中国語で2部ずつ作成。内モンゴルでまず代表者に押印して送って貰いこちらが押印して一部を送り返す。手間はかかったが幸いその難関を乗り切り、NPO法人も10月26日県より認可され、緑化協力事業助成金も受けられることになった。
 私たちの植林事業は、木を植えることを知らなかった内モンゴルの人々に木を植えることを解ってもらえた。1年目2年目は、ハスゲレルの実家近くのみだった植樹が、3年目以後は村の住民が自宅のまわりから木を植えるようになった。地元住民自身が植えなければ、広大な砂地の緑化・草原復活など望めない。7回目のお別れ会で、林業局長が「皆さんは、私たちに木を植えることを教えてくれました。」と挨拶してくれた。私たちが帰国後の6月から8月に自治政府がヘリコプターで植林地に草の種を蒔いてくれるようになったこと、どんどん辺地に伸びる道路網の横に必ず10メートル以上は植林をするように義務づけし、それが実施されているのを見て、私たちの力は小さかったが苦労が報われつつあるとホッとしている今日この頃である。
 私たちが計画した次の場所の植林事業にも、日中緑化交流基金の採択をいただいたことに感謝申し上げ、ご報告といたします。

日中緑化交流基金