![]() |
||||||||||||||||||||||||
|
日中緑化交流基金の助成事業を受け、日本の民間団体は中国側カウンターパートと協力し中国各地で多様な活動を展開しています。これら助成事業の取り組みについて、各団体からそれぞれご報告をいただいておりますので、その一部をご紹介します。 1 日中緑化交流基金に携わって10年 (社)海外林業コンサルタンツ協会
研究部長 黄 勝澤 私ども海外林業コンサルタンツ協会は、平成13年から寧夏回族自治区、新疆ウイグル自治区、河北省などの6つの地域で、7件の基金助成植林プロジェクトを実施してきました。平成22年まで造成した植林地面積は延べ1,143haに達しました。また、筆者は仕事がら、他の団体の基金助成植林事業も多数見学させていただきました。基金の活動と事業の成果は両政府と関係者などに高く評価されていることは周知のとおりですが、今後の基金の一層の発展を願い、植林の技術的な面でのこれまでの成果と将来の課題について考えてみました。 基金の実施団体(中国側カウンターパートも含め)の約半分は非林業専門団体でも、植林計画及び設計は現地の林業局が技術指導と支援を行っていて、すべてのプロジェクトはそれぞれの地域の代表的な植林モデルになれるよう設計し、施工したと認識します。その意味ではこれらのプロジェクトは当地の植林技術の集大成とも言えます。実際、我が協会が実施してきた早期のプロジェクト植林地は成林に近付いており、そのモデル効果をすでに発揮し始めています。一例ですが、「寧夏青少年教育・普及治砂防護林造成」プロジェクトで実践した、流動砂丘地における「全面麦わら沙障設置+植付け時期流動的な多種低木混交植栽+降雨時の(同樹種)種まき」植林方式は、モウス砂漠における無灌水植林の優良モデルとなっていた。
また、「新疆トルパン黄砂抑制生活環境保全林造成」プロジェクトは、年間降水量30ミリメートル未満、夏季最高気温40℃以上のゴビ砂漠で、ドリップ灌水と地下植栽(50cm深さの溝を掘り、その溝の底に植える)方式で、植林を成功させ、現地の緑化手本となりました。このように、多くのプロジェクトはその地域の植林技術モデルとしての役割を果たしています。一方、今後は中国の植林事情の変化などに合わせて、以下のような課題に取り組む必要もあるかなと思いました。
一つ、中国全般において言えることですが、今後の植林予定の立地条件がますます過酷になっていますので、如何に適切な対応を取り入れるかが重要になると考えられます。立地条件に合わせた樹種選択は言うまでもないですが、整地の方法、苗木の形態と規格、植付け時期、特に植栽後保育などにおいて、改めてより合理的かつ効果(費用対効果)的な方法を模索する必要があろうと思います。例えば、客土と灌水に頼りすぎること、一概に大きい苗を使いたがること、保育を補植で終わらせることなどが現に問題になっています。 一つ、今後の中国の森林整備事業の重点は「低質林(森林の本来持つべき機能や発揮すべき効果が欠如している林分で、中国語は“低効林”と言う)」改造へ移りつつあります。 いわゆる森林の「量」から「質」へのシフトは必然的な成り行きです。基金の植林事業も一部はこのような現状に対応すべきではないかと考えられます。このような低質林改造も整地、植え込み、保育と言った一連の植林工程が必要で、相応な技術も要求されます。 基金のますますのご発展を祈願して、あえて課題を提議しました。 2 采涼山のマツ 特定非営利活動法人 緑の地球ネットワーク
事務局長 高見邦雄 西伊豆の高校教員Fさんが毎年、大同に通う理由は「采涼山のマツに会うため」だという。采涼山は大同の市街地から北東に20km余りの大同県聚楽郷にある。日中緑化交流基金などの支援をえて、ここには6年かけて230haの植栽を実施し、2種類のマツにグミ科やマメ科の灌木を混植した。そのFさんが現場で不満をもらした。「こんなに成功しているのに、どうして宣伝しないのですか」。 事務所に帰って探してみると、10年前の起工式の写真がみつかった。日本の労働組合が派遣したツアーの面々と地元の子どもや農民が写っている。その背後は荒れた黄土の丘陵で、木の1本もみられない。草もまばらだった。
計画にあたってカウンターパートが地元の技術者に相談したところ、例外なく「成功の見通しがたたない。自然条件がよくないし、地元の農村が貧しすぎる。」という答えだった。 このような乾燥地では、北向きの日陰斜面は樹木が育つが、南向きの日向斜面は草も育たない。乾燥がひどすぎるのである。采涼山は典型的な南斜面であるうえに、夏のゲリラ豪雨で表土が流され、土がやせている。だが、大同のたいていの山は北側が切り立ち、南側がなだらかで、北斜面の面積は広くなく、そこの緑化はすでに終わっている。これからの課題は南向き斜面の緑化であり、私たちはその実験の場としてもこの場所を選んだ。 整地法は地元の草の根の技術を採用した。等高線に沿って、幅50cm、深さ30cmほどの溝を掘り、その土で溝の下手に幅40cm、高さ20cmほどの土手をつくる。そうしておくと、雨水は溝にたまって土中に浸透し、やがて凍結して翌春まで保たれる。春先、溝の底に苗を植えるのだが、そのころ凍結が融けて、苗に水を供給する。また溝と土手とでつくる壁が人工の小さな北斜面になって苗を守る。 日本からは専門家の助けをえて、菌根菌の技術を持ち込んだ。育苗の段階でアミタケ、ヌメリイグチなどのキノコを苗に共生させる。そうすると、乏しい土中の水分やミネラルの吸収が助けられ、活着率が飛躍的に向上し、生育もよくなる。 幸運だったのは、事業開始2年目に熱心な幹部が郷のトップに就任したことだ。デスクワークより現場の仕事がすきで、村人を率いていつも造林地を見回って、灌水や越冬支度を確実に実施した。「植林3分、管理7分」は植栽後の管理の重要性を訴える標語だが、彼の口癖は「植林1分・管理9分」だった。 これらのチームワークのおかげで、成功の見込みがなかった荒れ地に確実に緑が育ってきた。初期に植えたマツは3m前後に育って、大地を緑で覆っている。
大同は北京の水源であり、春先の風砂の吹き出し口でもある。北京天津風砂源改善の国家プロジェクトの会議が大同で開かれたとき、代表たちがこの采涼山を参観した。そして、1000haの緑化プロジェクトが隣接地にもたらされた。私たちの事業がその呼び水になったのである。 3 国際善隣協会植林事業と日中緑化交流基金 国際善隣協会 八島継男
1)富裕県植林ツアー 平成22年度から、当協会は日中緑化交流基金の助成を受け、中国の東北地方の北の端、黒竜江省チチハル市富裕県の嫩江沿線30km地点の約200haの土地に3年間に亘り、200万本の樟子松を植林し、西北からの風を防ぎ、砂を固定し、砂漠化を防ぐ、防風・固砂を目的とする生態モデル林を建設するものである。 この地方は戦前は満州国と称し、多数の日本人が居住していたところであり、終戦間際から、その後にかけて多くの悲劇が生まれたところでもある。丁度当協会はその誕生のいきさつから、そうした関係者が会員として多く参加しており、その方々もかなりの高齢に達しており、今回の植林ツアーも或いは最後のツアーに為るかもしれないと参加されたかたも少なからずいた。
今回の植林ツアーは総勢15人、8月19日に北京に入り、20日正午にチチハル空港に、同じ航空機には国家林業局対外協力プロジェクトセンターの責任者金主任が同乗していた。やはり今回の起工式に出席するためという。国家林業局が本プロジェクトを重視している証左であろう。チチハル空港では地元富裕県の幹部を初め、黒竜江省林業局幹部、チチハル市林業局幹部等多数の出迎えを受け、空港からただちにバスで富裕県城へ、ホテルで小休止した後、同県書記の高紅女史主催の昼食会、その後現場にバスで移動、整備された広大な圃場に畝が規則正しく配列され、入り口辺りには除幕を待つ、記念碑が据えられていた。当日は風がかなり強く吹き、プロジェクトの有用性を実感した。県の高紅書記の挨拶の後、来賓として、金主任、日本側団体の代表が挨拶し高紅書記と八島が記念碑の除幕をし、無事に起工式を終えた。その後圃場で日中の参加者が記念植樹をして、県城のホテルに帰り、小休止の後、県主催の夕食が開催され、その後チチハル市内のホテルに入った。 翌日はチチハル市内の観光の後、ハイラル組とウランホト組に別れ、それぞれの旅程についた。何れにせよ今回の植林ツアーは或る人々にとってはかっての悲劇の中で生き残り、多くの親族と離別し、そして今人生の老境に入って、平和をかみしめ、日中友好の杯を上げながらも、最後になるかもしれないほろ苦い旅程でもあった、同時にこうした機会を与えてくれた日中緑化交流基金に厚く感謝申し上げる次第です。 2)西安臨潼区日中友好林の終了を迎えて 当協会が2007年から、3年間に亘り、日本人にも秦の始皇帝陵や華清池でなじみの深い中国西安市郊外の臨潼区のはずれにおいて典型的な「退耕還林」プロジェクトを日中緑化交流基金の助成を得て、展開し、100haの「コノテガシワ」と胡桃の混交林を植林した。 ここは元来農民が小麦を耕作していたが、生産性が上がらないため、政府は住民を土壌条件の良い高台に移住させ、農地を与え、その土地を退耕還林の制度を活用し、植林することとした。低地には生態・経済兼用林の胡桃を植林し、高台には生態林の「コノテガシワ」を植え、この土地で耕作していた農民の将来の経済上の考慮もしている。 この3年間、プロジェクト周囲の状況は大いに変わり、その一つが付近にそびえる麗山の周囲は新たに植林された緑の木々に溢れている。これを見ると中国において木の植えられるところはどこにでも植えるという永年に亘る国民的運動がここへ来て急速に成果を上げていることが分かる。この30年間に国土の13%前後の緑化率が20%を超えたことがそれを物語る。
西安郊外の私共の僅か100haの「退耕還林」プロジェクトも決して孤立したものでなく、それは西安市を取り巻く屏風をなす緑の麗山山稜の一角を成したことがここに来て改めて認識でき、同時に誇りに思うのである。 3)最後の1年に入った「北京日中民間友誼林」 この北京の西北の郊外十三陵林場を中心に11年間に亘り、展開してきた私共の植林活動もいよいよ最後の1年に入った。平成12年に最初のグループに加えて頂き、日中緑化交流基金の助成を得て、開始した植林事業は中国側カウンターパートの熱心な協力を得て、11年間に約200haを植林した。最後の1年に入るに当たり、今回のプロジェクトは5年目であり、あと1年の延長の意向を聞いたところ「いや、北京では殆ど木の植えられるところは植え、むしろ協力が得られるなら、保育の協力を得たい」という。それから2,3日後中国のTVが北京の緑化状況について「北京では木の植えられるところの90%に木が植えられ、その結果、北京の緑化率は52%、森林率は30%以上になった。」と報じた。 最近の中国では地方においても山々や砂漠地帯も緑が多くなり、中国の緑化事業の進展を実感する。同時に中国のここ数十年継続した努力に敬服するとともに人類の偉大さに感嘆する。今後もできるだけ協力していきたい。
4 「日中緑化交流基金事業」での多彩な出合いと暖かい心 広島県日中親善協会
常任理事 事務局長 田渕廣和 (1)南充市嘉陵江沿岸造林緑化事業 昨年10月、当協会は、第25次友好親善訪中団(11名)を編成して日中間の尖閣諸島問題が懸念される中にもかかわらず、26日に標題の事業の記念植樹を実施するため、前日に成都市へ到着した時、現地の人民政府幹部の方々が来られて、次の丁重なご挨拶とご報告がありました。 「南充市では、近年来、集中豪雨が続き、現場へ通じる1本道路が崩れたので、記念植樹の現場に行けなくなりました。申し訳ありません。私共は、現地で歓迎会を計画していましたが、これは、成都市で開催させて頂きます。また、桜の記念植樹は、地元の私達に任せて実施させて下さい。」当方は、この暖かいお言葉に感動して、「天災が続き、大変でしょうが、頑張って下さい。よろしくお願いします。」と、直ちに回答しました。 すると、カウンターパートの四川省人民対外友好協会は「広島の皆さんは、折角、来られたのですから、成都のパンダ繁殖基地センターで、桜の記念植樹をされては如何ですか。」との暖かい配慮を示してくれたので、当方は、このご好意に甘える事としました。 パンダの繁殖基地センターでは、パンダの放牧も見学しましたが、桜の記念植樹は、副園長ほか関係各位の皆さんが熱心にご準備下さったお陰で順調に完了できました。
当方は、同センターを去る時、入場門の所で、偶然にも、世界の美女グループ(約20人)の入場行進と出合って、双方がお互いに、にっこりと手ぶりの挨拶を交わしたので、当方の皆さんは、「これは、貴重な体験ですね。」と大喜びでした。 一方、南充市では、蓬安県人民政府外事弁公室、蓬安県林業局ほか地元の方々約50名が10月29日、予定の場所で、日中両国の国旗を掲げて、計画した桜の記念植樹を実施してくれました。
(2)四川省安県地震災害復旧植林事業 昨年7月7日(水)、世界の国から中米青少年32名(うち、米国の高校生12名、教師3名、中国安県双泉村17名)及び四川省の関係者20名、合計52名が「地震の被災地に木を植える事業活動」に参加し、大きな銀杏50本を植えてくれました。
前述のような「日中緑化交流基金事業」での多彩な出合いと暖かい心が、今後、更に、広まっていく事を念願しています。 5 吉林省緑化事業に携わって 宮城県日中友好協会
本郷 祐子 宮城県は1982年9月に中国吉林省と友好締結を交わして交流を行っている。「日中緑化交流基金」による植林事業が開始されることを知り吉林省外事弁公室は宮城県日中友好協会に申請団体になって欲しいと申し出てきた。平成14年5月吉林省緑化事業に取り組むことに決定。今年度で9年目3事業地で900haになる。植えたポプラの本数とともに、事業地それぞれに多くの友人と思い出を残し、大きな財産を得ることが出来た。 1〜3年目(平成14年度〜16年度)吉林省洮南市 300ha ポプラ 樟子松 梅 809千本 4〜6年目(平成17年度〜19年度)吉林省扶余県 300ha ポプラ 樟子松 550千本 7〜9年目(平成20年度〜22年度)吉林省双遼市 現在継続中(300ha ポプラ 836千本) この間、春4月の植林、8月の調査にはボランティア訪中団を結成して植林や調査を手伝ってもらった。また8月の調査には、県の専門職員を派遣してもらい模範的な調査を行なっている。 1期の洮南市は興安嶺の裾野に広がる大広野を抱える町、3年間で196名が訪問、市民と交流をした。外国人が珍しい町で地元小中学校の訪問や家庭訪問、農家のビニールハウスや牛牧場を訪問。市内や市場で「私はあんたを知っている」「日本から樹を植えに来たんだネ」「テレビで見たよ」と声をかけられた。人懐っこく純粋な市民に訪中団員は前回訪問時の写真を持参し再開することを楽しんだ。 2期目の扶余県には191名が訪問、松花江沿いの町外れのホテルだったが朝市場には豊富な青果がふんだんに並びさまざまな民族に会うことができた。中学校訪問は初めての外国人の訪問と喜んでもらった。春の季節風は砂が横に吹き付けてくる。砂の絵を見ているようだった。 3期目は現在進行中の双遼市、平成21年春60名が参加し、2年間で128名になった。 長春市と瀋陽市の中間点の町で文化的に進んでおり、パソコンもデジカメも普及している。植林1年目から実施している「カレーライス交流」もこの土地で初めて日本式に白飯にかけて食べることに躊躇せず「好吃!」「好吃!」と喜んでもらった。 宮城県日中友好協会の吉林省緑化は砂漠が押し寄せる土地に木々を植えるだけでなく、人々の胸に友情の樹を植えてきた。たくさんの思い出は1人ひとりにかけがえのない財産となった。 もう一つ植林事業で最初から行なっていることに「植林写真展」がある。植林訪中に参加した団員から募集した写真を、仙台市の中心部のギャラリーで1週間展示し市民・県民に見てもらっている。温暖化防止、環境保全などと同時に「日中緑化交流基金」を理解してもらい、友好省吉林省の紹介と現在の中国を知ってもらう機会にして県民から高く評価してもらっている。 本助成事業も10周年を迎え、昨年10月四川省成都で記念式典が開催され招待いただいた。その席上宮城県日中友好協会は一番先に指名を受け表彰をしてもらった。全く思いもかけない事柄にたいへん戸惑ったが、身に余る光栄とありがたく壇上に立った。宮城県日中友好協会の植林事業を高く評価していただき、曲桂林国際合作司長の労いの言葉も、私たちを深く理解し敬っていただいているものと感謝の念に堪えないものです。謝謝!
6 新たな地域での緑化協力 (特)埼玉県日本中国友好協会
埼玉県は、1982年山西省との間の友好県省を締結しましたが、以来、当協会は、山西省との間で様々な民間交流を重ねてきた歴史がある。 当協会がNPO法人化した2004年4月、法人化を記念して始めたこの緑化協力事業は、「紆余曲折」しながらも、日中緑化交流基金からの助成や指導を受けながら、第一次事業「太原市尖草坪区」の緑化事業は、植林面積200ha、油松・刺槐・側柏等53万本の植樹を以って2006年度にすべて完了した。 この事業の完了と同時に、中国側カウンターパートの山西省対外友好協会は、新たな植林候補地として幾つかの場所を提示して、『是非第二次事業として協力してほしい』旨の要請を受け、当協会は、現地調査とその報告会を実施、一年置いて幾つかの候補の中から「山西省呂梁市」で実施することを決めた。 現地は、山西省と陝西省の省境に隣接し、太原市から現地までの長い道程は植樹に参加する埼玉県民にとってはかなり重荷となることが予期された。この地、山西省呂梁市方山県峪口鎮は4月でも雪のチラつく寒さが残っている地域であり、植樹の時節的な制約と道路状況から大きな制約を感じていた。 因みに、省都の太原から、高速道路で4時間程度を要する位置にあり、地方道には、大同方面から石炭を満載したトラックが、停車したまま十数キロにもわたって延々と連なっている光景があった。 新たな場所への植樹訪中団の派遣は、非常に困難な状況の中にあって、県民の協力と受け入れ側の熱意によって、少数ではあったが、これまで2カ年間に25名を派遣することができた。 この地域は、農業以外に大きな産業も見当たらない事から、植林事業に対し、かなりの期待を寄せており、省政府〜峪口鎮までそれぞれの立場で誠意を持って対処している。 一方、中国社会は、いま経済成長の中にあるが、この地の状況は必ずしもその恩恵が浸透しているとは思えないようである。 しかし、中国の物価高の影響は、この地まで及んでいるように思われる事を多々垣間見ることができる。従って、緑化事業に必要な物件(苗木代・労賃・その他物件費)にも大きな影響が及んでいる。 この土地の子どもたちは、純朴そのもので、植樹に参加した延べ400名近い子どもたちは、実直に我々訪中団に率先して協力してくれた。水の運搬、苗木配布、土かけの協力等である。 この地は元来、砂漠ではなかったそうだが、樹木の伐採とその後の植栽が全く為されない人為的なもので、現状に至ったと言われる。 従って、植生復旧に大きな期待がかかるのも当然で、私たちは、人の力によって、緑豊かな黄土高原の植生復旧に創造と期待を以ってこの事業の完成を目指している。
[戻る]
|