合掌(がっしょう)づくりには、多いところだと40人もの血縁者(けつえんしゃ)が一緒にすんでいました。これを大家族制といいます。白川村は谷あいで耕地(こうち)が少なく、男子を分家(ぶんけ)させることができませんでした。一方、生業(せいぎょう)である養蚕(ようさん)には人手がいるため女子も嫁にやりませんでした。夫婦となって一緒にすめるのは、家長(かちょう)になる長男だけで、他の人たちは「妻訪婚(つまどいこん)」という結婚の形式で、生まれた家に残っていました。妻訪婚で生まれた子どもは女性の家で育てられました。合掌づくりの中心は、オエという1階の一番広い部屋の真ん中にあるいろりです。家族団らんの場であり、家長制度をとっていた頃は席順が決まっていました。子育てや女たちの作業場にもなっていたようです。合掌づくりは、大家族のくらしの基ばんになっていました。