合掌(がっしょう)づくりのある白川村では、江戸時代の中ごろから絹糸(きぬいと)の原料となるまゆをつくるために養蚕という産業がさかんになりました。合掌づくりは養蚕が行えるように、大きな屋根うらの空間を2層、3層、4層に分け、どの階にも換気(かんき)のできる明り障子(しょうじ)が付いています。床は人が歩くところだけ板をしき、あとは竹のスノコでできており、1階にある炉から暖かい空気と煙がたちのぼるしくみになっています。煙のススは病原菌(びょうげんきん)の予防にもなりました。合掌づくりは蚕(かいこ)を育てるのに適度な温度と通気性をそなえており、すまいとともに工場のような役割をはたしていました。